2010.01.10 Sunday
―第八の法則:―喜神を含む―
安岡正篤先生が、残してくれた古今東西の聖賢たちの教えの中でも、「喜神を含む」という言葉か好きです。「喜神を含む」に使われている『神』とは、人間を人間たらしめている心の一番奥深いところにある真我のような存在を指しているように思います。じゃあ、真我って何だというご質問が出るかも知れませんが、真我とは、普段私たちが耳にする「良心に恥じない」といった使われ方をする“良心”という言葉、人間が生まれながら持っている魂としての慈愛、慈悲の心のように思います。『喜』とは、その心の奥深い部分にある真我が表出して、いつも喜びの気持を抱いている状態でしょうか。
安岡正篤先生が、残してくれた古今東西の聖賢たちの教えの中でも、「喜神を含む」という言葉か好きです。「喜神を含む」に使われている『神』とは、人間を人間たらしめている心の一番奥深いところにある真我のような存在を指しているように思います。じゃあ、真我って何だというご質問が出るかも知れませんが、真我とは、普段私たちが耳にする「良心に恥じない」といった使われ方をする“良心”という言葉、人間が生まれながら持っている魂としての慈愛、慈悲の心のように思います。『喜』とは、その心の奥深い部分にある真我が表出して、いつも喜びの気持を抱いている状態でしょうか。